なにかをする為の目的


初めてインドに向かって、滞在した3カ月とちょっと。


夜明け前の薄暗い時も、太陽が燦々と輝く日中も、この景色を見てはボーッとしてました。


クラスの合間、予習・復習の際もふと開いた本やノートに目を落としたり、

ちょっと目が疲れたら遠くの景色に視線を移して、風を浴びて、飛び交う鳥、人の動きを

ボーッと眺めるということを何度したかわからない。(写真には収まりきらないのが残念)


生きるって何だろか。

死ぬって何か。


帰国の理由に祖父の一周忌があり、

その年の1月になくなった祖父をよく思い返してました。


死期がせまってくるごとに 視力も落ちて

声も掠れて 話すこともためらうようになった祖父。


まだ伝えたかった事がたくさんあっただろう。

最後になんて言いたかったのかな。


聞き取ってあげられなかったなぁ。


これから自分はなにができるのか。


そんな事をよく考えてました。



2カ月目を一緒に過ごした生徒たち。

インド4人、オランダ人、イタリア人、日本人、総勢7人。

よく行動を共にしました。


1カ月の授業も終わりに近づき、試験もひと段落した日。


みんなで屋上でこの景色を見ながらランチをしました。

その時、ボーーーーっと目の前の景色を眺めながら

「あっという間だったね」

「なにもない所だけど、この景色はいつも最高だったわ」

「これからの予定は?」

「ここに来た意味ってなんだっけ?」

「みんなそれじゃない?」

「多分、来る前はなんか理由をつけたんだろうね」


「でもさ、ただここに来て、ここで出会って、またそれぞれの日常に帰っていく」


「人生ってそれの繰り返しだね」


「なにかをする為の理由なんて要らないよね」


「行きたいから来た。食べたいから食べた。
楽しいから笑った。それでいいでしょ」


なんとも心地いい間合いの会話でした。


「じゃ、またどっかで👋」

なんていいながら、なかなかみんな席をたたなかったな。


何か悲しいことがあった時、目の前が暗くなって前に進めない時、

そして次に何かを「行動」しようと思う時、

何か、自分や誰かを納得させる為に「理由」を探したりするけど、

結局は言葉にできない自分だけ感覚だったりすると思う。


自分だけの内側からの直感て、きっといいことに繋がって行くように感じるんです。



「インド」なんて一人で行ける人じゃなかった私が、突き動かされるように飛び出して、

たくさんのいいこと、いいもの、いい人たちに出会ってこれて今がある。


私、楽しく生かされてるな〜と

クラスが終わって車を走らせながら、なんとなく浮かんできたこと。

ちょっと綴ってみました。


何かをするのに理由は要らない。
感じたままに、日々を生きれられたらいいんだと思います。


さて、週末は桐箱朝市に、雨引観音でのヨガ(あと4名ほど受付可能です)。

そして来週にはダライ・ラマ14世が来日されます♪









Jnana〜ニャーナ〜

自分をゆるめて ゆるして 大きな愛で包む時間 頑張る自分だけでなく 弱い自分も好きになるヨガ 自分のペースで 自分の呼吸にゆだねて 自由に感じる

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