寺ヨガ&カレーへのご参加ありがとうございました

昨日は弘経寺での寺ヨガ納めでした。

ご参加いただいた皆様、ありがとうございます✨

(写真なしでが。。。)


久々にお会いできた方も

ヨガ初心者の男性も遠方から駆けつけていただき、

ヨガを楽しんでいただき嬉しかったです。


初めての方には

「禅定をしているような不思議な感覚になるヨガだね。

なんというか、高いところから降りてくるような、、、久々に面白い体験できました!」


と、感想いただきました。


嬉しいですね〜😊


シュリカリのヨガを受けてくださった方々が、

それまでの自己の体験を通してその人なりの表現してくれるのが新鮮で、楽しくて、

そこからまた学びがあったり貴重な時間なんです🌝


私自身、座禅をしたことはほぼないのですが、「禅定」の意味を調べると、

・心を静めて一つの対象に集中する瞑想。また、その心の状態。  

・霊山に登って修験道(しゅげんどう)の行者がする修行。転じて、霊山の頂上。

と書いてあります。


瞑想の方法という説もあれば、

「身体を安静に保ち,心静かに人間本来の姿を瞑想すること」ともありました。


「瞑想」はサンスクリット語でDhyana(ディヤーナ)。


ヨガアーサナ中に「瞑想しましょう」とか「ヨガは瞑想の科学です」ということがあります。


それは、「アーサナ」という表面的な形や個体に意識を向けて集中するのではなく、

もっと大きな観点から自己を見つめていくことをさします。


「目を閉じても、あれこれ思考が止まらない」「ヨガに集中できない」


決してそれが悪いのではない。


思考が止まない今の自分でも「バツをつけない」

嫌な感情が湧き出てきた今の自分でも「オッケー」

アーサナの順番間違った自分も「ありあり」

途中で寝てしまったみたいな自分も「あ、気持ちよかったんだ」と受け入れる。


そんな風にして不要な力み、思考や感情といったもの、自分を制限するものを落としていく。

そして、生まれたところに帰って、ただ「一つの尊い命」である自分を愛して、

生きていく。それが瞑想である。「梵我一如」というのが伝統的タントラの教えです。


日々を穏やかに暮らすための「落とす場所」がシュリカリのヨガアーサナ。


まだまだ落とすものがたくさんあるなーと、実感するときでもありますね〜。

そういうものひっくるめて生きていく。それがヨガなのかなと思います。


では。

Urue〜はじまりのヨガ〜

伝統的なヨガとアーユルヴェーダそして暮らし。 自分の原点に帰るヨガは、鏡の前でポーズを作るのではなく、やさしく目を閉じて、自然体の自分でポーズからポーズへと流れていきます。 人も自然もおなじしくみ。川の流れが滞れば、水はにごりあふれる。人の心・体もどこかに滞りを感じたままでは、いつか病気となって表にあふれ出す。あふれ出す前に「滞り」を流すものがヨガであり、アーユルヴェーダの知恵です。

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