ヨガに至るまで

畜産業を営む家に生まれ、動物好きの祖父のおかげでたくさんの生き物にふれながら育ちました。そのお陰か、「命をいただく」「豚も人間も草木も命というものに変わりない」という事をなんとなく感じていた幼少期。

稀な病気、髄膜脳炎にかかり、生死をさまようも後遺症なく退院。

それがきっかけで「命」「生と死」「生まれた意味」「生き残った意味」などというものよく考える子どもでした。

この時の生死の狭間からの生還と言うか、目覚める直前の感覚と、このヨガの言わんとする哲学や瞑想、無意識が後々リンクします。

挫折感・劣等感を感じながらも過ぎた学生時代、「働くのは好き」でもなにか自分がしっくりこなかった数年。転職活動を繰り返してもな。。と、そのとき「いちばん何がしたいか」を考え、ワーキングホリデーでオーストラリアに向かってみる。


向かった先は大自然溢れる西オーストラリ。幸運にも現地について数日で、以後親友と呼べる友達とここで出会い旅して、地球の大きさ、自分のちっぽけさ、出会いの喜びを感じました。


30歳過ぎて、ギリギリカナダのワーキングホリデーのビザをとるも、ひとつ出会いがあり、北海道のニセコにいく事になりました。

予備知識なしで行ってみたらそこは日本ぽさはなくて、パウダースノウをもとめて国内外からたくさん人が集まるところ。

日本感ゼロ。そんな場所にポンといってしまった。

旅をしながら生きる人、生活の中心が雪という人、いろんな生き方してる人たちに出会い、

寮付き・リフト券付きのスキー場内でのお仕事をしつつ、朝・昼・夜と時間がある限り滑ると言う濃い数ヶ月を過ごしました。


直感でスリランカへ

エネルギッシュなニセコでのシーズンを終え、

美容室で手に取った雑誌にあったスリランカの写真。

「あ、ここはいかなきゃ」と思い計画を練りました。(なぜか、他にも見たいと思っていた観光地は消え失せた)


アーユルヴェーダってなんだろ?と頭の片隅におきつつ、一人旅。

岩瀬幸代さん主催のツアーに現地で合流。スリランカの主要箇所を回った6日間。

そのツアーで出会った子から、帰国後に田村ゆみさんの存在を教えてもらいました。


南インドケララ州へ

ゆみさんとの出会いから、一気にインド・カヌールへと突き進みます。

アーユルヴェーダ病院で、授業を受けつつ、パンチャカルマというオイルを飲んだり、オイルマッサージを受けたりの治療を約40日間ほど体感。

もう一つのアーユルヴェーダ、カラリパヤットという伝統的武術の治療法を行う、人間味溢れるグルカル(お師匠)の教えにも触れ、インド・カヌールと言う町が大好きになりました。

インドもスリランカも「必要なものを必要なだけ」を教えてくれる大切な場所です。


最初はインド英語に驚き、カルチャーショックを受けるも、「郷に入っては郷に従う」精神で、慣れたら都です。

人の活力が溢れるインド、そこには不便さの中に、日本では失われつつある本質的な暮らしがあります。

現地では、伝承医学アーユルヴェーダ・ユナニ・ホメオパシーも現代医学も仲良く、みんな上手に使っていて風通しの良さを感じました。

帰国する前に、病院で出会った友人に誘われた事で、Shiri Kali Ashramに出会い、数ヶ月ぶりの日本人に出会います。

この出会いが、今に繋がります。

一旦帰国したものの、再びインドへ

利便性、合理性をもとめた高度経済成長をすぎて、「世の中便利になったけど、なんか不便だな」と、シンプルなものからどんどん複雑になって疲れるなぁ。と

子どもの頃から考えてた命のこと、生き方や、世の中に対する疑問がシュリカリアシュラムでヨガを学ぶきっかけでした。


講師になるつもりもなく、自分の「知りたい」だけではじまったヨガの学びですが、

こういった精神哲学を学ぶ機会が少なく、「人間の本質」を失いつつある私たちの生活には、必要なものだと確信して、人に伝えようと決めました。


インドに行くまで、ヨガを日常に取り入れてはいなかった私ですが、

幼いころに通っていた書道が自分にとってはヨガであると思っていたことをこのアシュラムで確認しました。

回り道しながら色んなことを経験して、点と点が繋がった場所がインドという国。

ここまでの道のりは本当に転々として、闇の中をもがいていたように思うけれど、

自分が迷いながらもその時の気持ちに正直に受け止め、一歩踏み出して動いた先に誰かがいて、

その先にまた出会いがあってと、すべては出会いが繋いでくれたであること。

自分もまさかインドに行くとは考えてもなかったし、ヨガを教えることになるとも思わなかった未来。

凸凹な自分の生き方がここに繋げてくれたんだと思えば、この上なく有り難いこと。


アーユルヴェーダやShiri Kaliのヨガには、自分らしく生きる智慧・ヒントがあります。

外側に価値を見出したり、癒しを求めがちですが、本来、人は自分自身を癒し、内側から自分の存在を受け入れていける。

断片的ではなく全体性をもって行う伝統的なヨガ、アーユルヴェーダは

自分は自分らしく、その人はその人らしく。

個々の存在を敬い、愛を持って生きて行く。

体だけではなく、心も養う温かいものです。

情報が溢れる現代、伝統的なヨガを通して、自分にとって「何が必要で何が不要か」そんな生き方のヒントに気づくお手伝いができたら幸いです。

Urue〜はじまりのヨガ〜

伝統的なヨガとアーユルヴェーダそして暮らし。 自分の原点に帰るヨガは、鏡の前でポーズを作るのではなく、やさしく目を閉じて、自然体の自分でポーズからポーズへと流れていきます。 人も自然もおなじしくみ。川の流れが滞れば、水はにごりあふれる。人の心・体もどこかに滞りを感じたままでは、いつか病気となって表にあふれ出す。あふれ出す前に「滞り」を流すものがヨガであり、アーユルヴェーダの知恵です。

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